丹波慎也投手の動画や写真!球速や急逝死因は?兄や出身中学を調査!

こんにちはYukaです。

甲子園の常連校といえば、
名門横浜高校

50年間もの長きに渡って
指導された渡辺元智 元監督が、

あの、

松坂大輔選手筒香嘉智選手
を差し置いてまで、

「横浜高校史上最高の選手」

と公言する選手が実在したそ
うです。

その選手の名前は、

丹波慎也投手!

こんなに素晴らしい選手がいた
ことを、
今日まで知りませんでした。

今回、知ることができて本当に
よかった。

そんな丹波慎也投手とは、
一体どんな選手だったのでしょ
うか?

今回は、丹波慎也さんについて
ご紹介していきたいと思います。

  • 丹波慎也投手プロフィール
  • 動画や写真まとめ
  • 球速を調査!
  • 急逝死因は?
  • 兄は元プロ野球選手!
  • 出身中学はどこ?

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丹波慎也投手プロフィール

  • 名前:丹波 慎也
  • 読み方:たんば しんや
  • 生年月日:1978年?月?日 – 1995年8月17日
  • 年齢:享年17歳
  • 出身:神奈川県横浜市
  • ポジション:投手
  • 身長:184cm
  • 体重:82kg
  • 高校:横浜高校

 

 

渡辺元智 元監督が、

  • 50年の指導歴の中でNo.1選手
  • 同年代であれほど慕われた選手は
    他にはいない
  • 文武両道で模範の選手

 

と、語ったほどの選手だった
丹波慎也さん。

丹波慎也さんに憧れて横浜高校へ
の進学を決めた、

1つ後輩の上地雄輔さんも、

  • 成績は常にトップクラス
  • モデルみたいな体系で顔は男前
  • 野球はスペシャルうまい

 

と、ブログでおっしゃっているほど!

丹波慎也さんの凄さや、

上地雄輔さんにとって、
とても大きな存在だったことが
が伝わってきます。

 

上地雄輔さんが丹波慎也さんを
知るキッカケになったのは、

中学3年の夏に見た、

横浜高校 VS 横浜商工高校
神奈川県予選大会。

当時、

他校から野球推薦をもらい、
進学先を悩んでいた上地雄輔さん。

丹波慎也さんのピッチングに
衝撃を受け、
この人の球を受けたらどんな
感触なんだろう
と、

横浜高校に決めたそうです。

教室では丹波慎也さんの
話題で持ちきりで、

横浜高校の伝説の名投手だった
そうです!

しかし、

丹波慎也さん高校2年の夏。

1995年8月17日

享年17歳

その日はいきなりやって来たの
でした。

 

動画や写真まとめ

3年生が引退し、

丹波慎也さん率いる新チームが
始動した矢先夭逝でした。

甲子園を待たずに逝ってしまった
ため、

公式戦での記録や動画、静止画
ですらほとんど残っていない
そうなんです。

 

これからっていう時に、
悔しいですよね。

きっと、

いっぱい記録を打ち出したに
違いない選手だけに、

もっとプレーする姿を、
誰もが見たかったはずです。


以前、テレビで放送された映像
のようですが、

丹波慎也さんの貴重な動画
入っていました。

球速を調査!

3年生が引退した2年の夏、

エースで4番になった丹波慎也
さんがチームの中心となり、

新チームがスタート!

4試合全てオープン戦ながらも、
丹波慎也さんは

ノーヒットノーラン2回
ホームラン3本

を記録しているそうです。

残念ながら、

甲子園などの大舞台に出る事が
なかったため、

球速記録は残っていないそう
なのです。

右上手投げ、豪速球でなく、
速球のキレで勝負するタイプ

だったそうです。

生きていたら・・・

と思ってみても仕方ないのですが、

見てみたかったな。と思いますね。

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急逝死因は?

17歳という若さでこの世を去って
しまった丹波慎也さん。

なんの兆候もなく、前日まで
とても元気だったそうです。

医師の診断によると、

心臓肥大による急性心不全

だったそうです。

亡くなる前日も、

中央学院でのオープン戦に登板
していた丹波慎也さん。

新チームとして再出発した矢先
の出来事だっただけに、

チームのエースを失った悲しみ
は計り知れなかったでしょうね。

1995年8月17日 享年17歳

まだ高校2年生。

甲子園を目指してこれからって
いう時に、

早すぎますね。

誰からも慕われた丹波慎也さん。

監督、チームメイト、

誰もが希望を失い、喪失感に
暮れていた時に、

丹波慎也さんの母・裕子さんは、

息子ためにも 選抜試合に出場し
てほしいと頼みます。

その意思を全員が引き継ぎ、
甲子園出場を誓いました!

 

1996年

絶対的エースを失ったチームが

春夏、連続甲子園出場!

という奇跡を起こしたのです!

これを書いているだけでも、
涙が出そうです。。。

本当にすごいチームですね。

丹波慎也さんの代わりに
ピッチャーを任された
松井光介投手は、

プロ野球選手になりました。

もしかしたら、

丹波慎也さんもプロになって、
一緒に戦っていたかもしれない
2人。

現在(2018年11月)は引退し、

ヤクルトスワローズの打撃投手兼
スコアラーを務めています。

兄は元プロ野球選手!

 

 

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  • 名前:丹波 幹雄
  • 読み方:たんば みきお
  • 生年月日:1974年9月30日
  • 年齢:44歳(2018年11月現在)
  • 身長:193cm
  • 体重:94kg
  • 出身:神奈川県横浜市
  • ポジション:投手

丹波慎也さんの4歳年上の兄
幹雄さんも、

横浜高校で活躍するピッチャー
でした。

1年生の秋からベンチ入りする
など、活躍を期待されていた
投手でしたが、

肘を痛め2年生の春に退部。

その後、
野球から離れてしまいます。

慎也さんが亡くなる直前、

慎也さんから急に、
「キャチポールに付き合ってほしい」
と頼まれたそうです。

「まだやれるじゃん」

と、慎也さんから言わた言葉が、
再び野球を志すキッカケになった
そうです。

弟の遺志を継ぐことを決めた幹雄
さんは、肘を手術し、

1996年からクラブチームで野球を
再開します。

1998年のドラフト会議で、
ヤクルトスワローズに8位指名
れ、投手として入団。

野球から離れていたブランクを
乗り越えて、プロへの道を決心
した幹雄さんの努力は、

とても計り知れないですね。

弟への強い愛を感じます。

偶然にも、

当時のドラフト1位指名は、
慎也さんの後輩だった
松坂大輔投手だったそうです。

プロに入団後、

身長193cm体重94kg恵まれ
た体格だった幹雄さんでしたが、

高校時代のケガの影響もあって
か、一軍で投げることはなかっ
そうです。

その後、

2002年に
戦力外通告を受け、引退。

引退後は、

横浜市交通局を経て、現在は
神奈川県内の企業に勤務して
いるそうです。

弟の意思を引き継いだ幹雄さん。

本当に凄くて、かっこいい
お兄さんです!

出身中学はどこ?

神奈川県横浜市出身なので、

学区内の中学校へ通っていたと
思われますが、

残念ながら、中学校の情報は
見つけられませんでした。

兄の幹雄さんも同じ中学だと
思い、調べてみましたが、

なぜか幹雄さんの中学も不明。

横浜市の中学校だけでも178校
もあるようです。

ご存知の方も多いと思いますが、
またわかり次第追記しますね。

 

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まとめ

渡辺元智 元監督が、

・50年の指導歴の中でNo.1選手
・同年代であれほど慕われた選手は
他にはいない
・文武両道で模範の選手

と、語ったほどの凄い選手だった
丹波慎也さん。

しかし、

心臓肥大による急性心不全
17歳という若さで夭逝。

公式戦での記録はないため
球速は不明ですが、

4試合オープン戦で、

ノーヒットノーラン2回、
3本塁打を記録。

兄、幹雄さんは弟の意思を
引き継ぎ、ヤクルトへ入団。

丹波慎也さんがいない当時の
チームも、

春夏、連続甲子園出場
果たしました!

丹波慎也さんは、

本当に凄い選手だったこと。
沢山の人に愛されていたこと。

そして、

今もなお、忘れられることなく
伝説の投手だということ。

今回、
素晴らしい選手を知ることが
できました。

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